大阪府枚方市出身。京都市立堀川高校音楽科(現・京都市立京都堀川音楽高等学校)卒業。東京芸術大学を経て同大学院修了。後、ハンガリー政府給費生としてリスト音楽院に留学。
全日本学生音楽コンクール大阪大会高校の部第1位。宝塚ベガ音楽コンクール第2位(1位なし)。
日本室内楽コンクール第1位(伊藤野笛氏とのデュオ)。Wien-Praha-Budapest Sommer Akademie(ソロコース)に参加。Bartok賞受賞。ウィーン国営ラジオにおいて放送される。
2011年1月、大阪フィルハーモニー交響楽団と、ブラームスのヴァイオリン協奏曲を共演。ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団第一ヴァイオリン奏者、兵庫県立芸術文化センター管弦楽団フォアシュピーラーを経て、現在神戸市室内合奏団首席奏者。
前田幸美、橋本寿子、岡山潔、故ゲルハルト・ボッセ、故アンドラーシュ・キシュの各氏に師事。
京都市立京都堀川音楽高等学校非常勤講師。枚方演奏家協会会員。
函館生まれ。声楽愛好家の両親が保有していた(カワイ)ピアノで遊ぶ日々を過ごす。1984年ロサンゼルス五輪で体操競技に傾倒し体操教室に通わせろと騒ぐが幼少時の腎臓炎を懸念する両親に止められ半ば自棄気味にピアノに集中する。同学年の優秀なピアニスト達が相次いで学業の道を選んだ為に突然期待をかけられ音楽高校の受験を勧められる。男子受験生が極端に少なかったのが幸いして合格し周囲に不審がられるが、指導教授の凄腕により多少上達する。他のピアニストに共演を断られた連中が何故か私の所にやって来るようになり、伴奏大好きの人生が揺ぎ無い物と成る。独奏分野では知られざる作品の発掘に情熱を燃やす余り名作の習得が疎かになる。2000年シドニー五輪直前に嘗て憧れのロサンゼルス五輪代表選手が総監督を務めていた大和銀行体操クラブの廃部に一石を投じるべく友人達と共に、「Gymnastic Concert」を開催。願いが通じたか同クラブは形を変えて存続することが決定し、同年冬再び友人達と大翔会体操クラブ(現KONAMI体操クラブ)の誕生を祝う「Auerbach Classic Concert」を開催。2001年遅まきながら渡独。伴奏人生は国境を越える。卒業後も数々の不条理に腹を立てつつ学生達の真摯な態度・味わい深いビール・ゴキブリのいない生活を満喫し続ける。
東京芸術大学音楽学部付属音楽高等学校、同大学同学部、同大学大学院及びハンブルク音楽演劇大学大学院を修了。
石塚康子。布施谷信子、故・遠藤道子、小林仁、K・シルデ、R・ナットケンパーの各氏に師事。